最近出版された副島隆彦氏の「日本は世界最低の英語教育の国だ。英文法の謎を解くが甦る」を読んでいる。1995年に出た本の復刻版らしいが、日本の高学歴ほど陥る英語のわからなさが良く解説されていて面白いと同時に、私は英語の根本的なところが実は分かっていないのかもしれないと恐ろしくもなる本である。
氏は日本における英語教育は根本的な土台の部分でおかしくなっており、それが例えばhaveは「持っている」、beは「〜である」というような基本動詞の理解の仕方の誤りにあるという。haveはbeと同じ系統の特別な動詞で、別枠で理解すべきだという。たとえばI have a child.というようなつまらない文一つ取っても、「私は子供を産んだ」「子供を育てている」「子供と一緒に暮らしている」というような含意があり、そういうような複合的な状態でいるということを表していると理解しなければならない。
また「私は風邪を引いている」をI have a cold.ともいう。このように、haveは「持っている」などではなくて状態を表す動詞と理解しなければならない。だからこそ現在完了形でhave been〜とかhave doneというような形が作れる。英語学習の一番最初の部分でhaveを「持っている」というような行為を表す日本語に閉じ込めてしまうために、have+過去分詞という形がなんだか訳の分からないものになってしまう。haveの誤訳・誤解から、その後のあらゆる文法事項の理解が狂ってくるというようなことを氏は書いており、まさにその通りであろう。
それから「仮定と条件の区別」というものがある。日本語では「もし明日雨が降ったら」という文は、仮定の話とも取れるし条件の話とも取れる。しかし英語では、直説法と仮定法を厳密に区別する。「直説法」という文法用語をそもそも高校では習わないはずだから、その時点でおかしいのだが、英語(フランス語やドイツ語もそうだが)には「客観的な事実関係」に関する直説法と、「主観的な願望や意図」に関する仮定法を明確に区別する。直説法における、つまり事実関係における「もし〜が発生すれば」が条件であり、これは仮定法における主観的な感情・願望などを表現するためのifとは区別される。
さきほどの「もし明日雨が降ったら」という日本語は、英語ではIf it rains tomorrowと書く。受験では、if節の中は現在形にするということだけ暗記させられるので、とにかくそういうものだと覚えるのだが、なぜIf it will rainではいけないのか。それは、willなどの助動詞というものが根本的に話者の主観を表すものである一方、このifは直説法における条件、つまり客観的な事実関係に関するものであるから、現在形で書かなければならないということなのだ。
この大元の発想が、そもそも直説法なる用語すら扱わないのだから受験勉強で分かるようになるわけがない。
さて、ここから仮定法の恐ろしさという話になってくるのだが、直説法の文は客観的な事実に関するものである一方仮定法の文は主観的な感情・願望に関わるので、仮定法になると言外の意味合いがものすごいことになる。日本語ではあまり客観的事実関係と主観的感想を区別しないので、単なる直説法の条件のつもりで仮定法を使うととんでもない誤解が生じることになる。
受験生が必ず覚える英語、If I were you, I wouldn’t do such a thing.「もし私があなただったら、そんなことはしないだろうに」という例文も、これは言外に「私はお前みたいなバカじゃないぞ」「だからそんなことはしないんだぞ、クソが」というニュアンスが出るので、大変に侮蔑的な表現となる。だが、おそらく多くの日本人、それも高学歴ほど、たぶん客観的な話として、軽く「あなたはそうかもしれないが、私はそうはしない」くらいの意味で言うと思うのだが、非常に留意しなければならない表現だ。というか使ってはいけないぐらいに思っていたほうがいいのかもしれない。
それで思い起こされるのが、新幹線などに乗ったときの実にデタラメな英語だ。
日本にはアホほどデタラメな英語が蔓延っている。東京でバスに乗ったら、”Connected-free Wi-Fi”という掲示がされていた。おそらく無料で接続できるWi-Fiですよ、ということなのだろうが、なんとかfreeというのはsugar-freeというように「〜がない」という意味だから、「つながらないWi-Fi」ということになってしまう(connectedもおかしいが)。ちなみにsmoke-freeも、「禁煙」であって、タバコが自由=喫煙という意味ではない。
それから先日仙台のバスでは、To prevent the expansion of corona virus…というアナウンスがされていた。「コロナウイルスの感染拡大防止」から、expansion of virusという奇怪なる表現が翻訳されたのだろうが、expansionじゃウイルスを指でつまんで広げることだ。これはそもそも日本語の「感染の拡大」という言い方がおかしい。拡散もウイルスが系としての空気中に均一に拡がっていく現象を指すのであって、「空気中へのウイルスの拡散防止」「感染者数の抑制」が正確な言い方だろう。
さて新幹線のアナウンスは、仮定法の話を踏まえると実にバカげていて、We wish you a pleasant journeyと毎回流している。wishは「望む」だとバカみたいな教え方をし続けた末路だ。もうおわかりだと思うが、wishとhopeは厳密に異なる。hopeは直説法の「ありそうなこととして望む」が、wishは仮定法の「ありえないことだけれども望む」だ。Wish you were here.とは言えるがHope you were here.とは言わない。I hope you are here.とは言える。I wish you were here.は訳せば「いてほしい」だが、実質的な意味は「いない」「いなくなってしまった」「いてほしかったのに」ということであり、I hope you are here.がまさに「いてほしい」だ。つまりWe wish you a pleasant journey.とは実質的な意味は「良い旅なんかお前には無理だろうよ!」ということであって、ゴミ屋敷を目にして「立派な家だな」というのと同等である。こんなイヤミを堂々と放送しておきながら、おもてなしだの観光立国だのと謳っているのだから大したものである。あるいは、これが京都的な日本文化の粋なのだぞという、究極のおもてなしなのかもしれないが。