いろいろなブログサービスがあるが、最近ではどのサイトを使ってもデフォルトで記事のアイキャッチ画像を設定できるようになっている。さらに自分で画像を用意しなくても、フリーの素材を自動的にAPIとかで引っ張ってきて表示できるような機能もデフォルトになりつつある。昨日久しぶりにnoteに記事を書いたが、他のユーザーが撮影した写真を記事のアイキャッチとして使用できるようになっており、投稿した記事には自動でその写真のクレジットも入るような仕様になっていた。

数年前はアイキャッチを入れる仕様にしたり、あるいはその画像を準備するの自体が大変だったことを思うとかなり便利になったんだなあと思う一方で、ネット・デジタルの世界はこういうふうに一世代前にはカネを取れた仕様がどんどん無料の標準仕様になっていく恐ろしさもある。ベンチャー企業で独自のアプリやソフトウェアを作る会社はたくさんあるが、ようやくのことでリリースしたと思ったら大手(グーグルとかマイクロソフト)が無料ないし極めて安い値段で同じようなことをやってしまって完全に負けるというのはあるあるすぎる話だ。

学生だったり、社会人でも経験が浅く企業向けシステムの市場に関する経験も知識も浅いと、大手が本気出せば簡単に作れてしまうような仕様・機能でも「これで世界を変えられる」とか思ってしまうのだろうと思う。じっさい私自身も、自分でサイトのコードを書いたりPythonを勉強したりしていた頃は、汎用的でコモディティ化した機能であっても自分の手でプログラムすると愛着もあり、「同じことグーグルで無料で出来る」とか言われても聞かないような感じになった。

それでもいろいろなツールやソフトを無料トライアルでいろいろ触っていると、「みんながよく使う機能ほどデフォルトであらゆるソフトに搭載されるようになっていく」という当たり前だが残酷な現実がなんとなく見えてくるので、私は自分独自のアプリやソフトを作るにしてもそれで商売にしようとは思わなかった。

・・・・・

同じようなことは、ソフトウェアの機能やアプリだけでなく、いろいろな仕事の能力やスキルにも当てはまるようになってきている。「みんながやること」は、たいていすぐに誰もができるようになっていき、定式化されて自動化・AI化されていくので、すぐに能力として陳腐化していってしまう。独自の道を切り開いても、それをみんなやるようになってしまうと同じことになる。あらゆる業界のあらゆる仕事がどんどんコモディティ化していくので、働いていても楽しくないし、能力を身につけたところでどうなるものでもないという諦観が世の中を覆うことになるのも宜なるかなである。

そういう時代なので、基本的には周りと同じようなことをしないということが大事になるし、それと同時に自分が何かすることのコストを上げないようにしなければならなくなる。ブログをやるなら、コモディティ化しやすいアイキャッチ画像の設定なんかどうでもよくて、文章だけから書いた人間が誰か分かるような独自の文体を身につけることだけに集中したほうがよいだろう。つまり競合が多くコモディティ化しやすいところでは、コモディティ化した安い汎用品を使ってコストと将来的なサンクコストを下げ、自分が独自性を出したり他に圧倒的に優っているポイントだけにフォーカスするようにしていかないとダメだということだ。

一般的な日本人の考え方はこれと真逆で、コモディティ化した領域で悪戦苦闘することを仕事だと思っている節がかなりある。本当はさっさとそんな仕事をやめて別のことをすればいいのに、いつまでも不利な戦場で苦闘することが美徳であり優秀であるかのような通念がはびこっている。

「戦略」と「戦術」という枠組みで言えば、コモディティ化した領域で仕事をすることは戦略的に誤っている。戦略的にはもっとラクに稼げる、うまくいく領域に移っていくべきだということが明らかだ。だが、たいていの人は「もっと作業をはやくする」とか「まじめにやる」とか「気をつける」とか、そういう戦術レベルの話しか考えられない。戦略的な失敗は戦術によって絶対に取り返すことができないというのが鉄則なのであるが、戦略的にものを考えるということがほとんどタブー視されている世の中では戦略的な話をすると「怠惰だ」とか「ナントカの精神に反する」とか言われる。

だが、議論をしても仕方ない。議論のしようもないだろう。どちらが正しいかは結果のみが証明する。